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タダオ/フランス帰国前のお別れ旅行

2025年(令和七年)11月16日~
2025年11月16日
東京~池袋
志木で食事会
川越”蔵の街”歩き
スーパーホテル川越

戦前の”時の鐘”
2025年11月 ...埼玉県川越の”蔵の町並み”街歩きへ
川越に行く前、志木で食事会があり、丸ノ内線で池袋へ、東武東上線に乗換へ志木に向かう。

東武東上線・志木駅
お昼から夕方にかけ食事会を終え、志木から東武東上線で川越へ向かう。
今夜は本川越駅近くの”スーパーホテル川越”に一泊する
川越スーパーホテル ホテルHPより転載
スーパーホテル川越には自慢の天然温泉がある。チェックインして早速お風呂へ
夕方で誰もいないお風呂でゆっくり。
四十肩で痛みが少しは改善できればいいのだが...
11月17日 一階レストランで朝食。スーパーホテルは何度か泊ってるが朝食はなかなかおいしい
今日も快晴 最高の散歩日和。
9時にチェックアウト。川越街歩きに出発!

西武新宿線・本川越駅
川越には駅名に「川越」がつく駅が三つある。
『JR&東武東上線/川越駅』『東武東上線/川越市駅』『西武新宿線/本川越駅』
始めは、本川越駅横を通って"蔵の町並み"へ
大きい地図⇒
今日の街歩きルートは、東武東上線・川越駅から本川越駅を通って蔵の街から川越城~喜多院と周って市内を巡る。

"蓮馨寺"(れんけいじ)
蔵の街への途中、最初に寄った大きなお寺、浄土宗"蓮馨寺"(れんけいじ)
川越城主の母の、蓮馨(れんけい)さんが、安らぎの場を民衆にもたらすようにと建てたお寺。1602年に浄土宗の増上寺を頂点とする幕府公認の学問所のひとつとなり、葵の家紋が許された。かつて境内にあった浴場を「八つの鐘(午後3時)」を合図に庶民に解放していた、その鐘は「元禄時代の梵鐘」として今も時を告げている。
"蓮馨寺"(れんけいじ)【江戸後期】
本堂前には触ると病気が治るという「おびんずる様」

"蓮馨寺"(れんけいじ)は川越七福神の第五番
次に"蓮馨寺"の通りを挟んだ前にある”川越.熊野神社”へ寄る
名前の由来は、然誉文応僧正が和歌山県熊野神社に「勧請」といって「神仏にこちらへ来てくれるように、何かを行ってくれるように」と祈り願って開かれた寺

”川越.熊野神社”
神社の社紋の八咫烏(やたがらす)は、太陽の化身で熊野の大神に仕える鳥。
八咫烏は夜明けを呼び、太陽を招き、人生の闇に悩む人々を明るい希望の世界に導く霊鳥といわれ、三本の足はそれぞれ 天・地・人を表す。
サッカー協会のマークに八咫烏が使われているのは、神武天皇の故事に習い、よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められているという。
日本にサッカーを広めた中村覚之助は、和歌山の出身だった。この中村にちなんだマークを探し求め、日本サッカー協会が辿り着いたのは和歌山の熊野。この地には三本足の「ヤタガラス」、そして蹴鞠(けまり)にまつわる伝承があった。

和歌山県那智勝浦町で生まれた中村覚之助(明治11年-39年)は、嘉納治五郎が校長を務めていた東京高等師範学校の卒業生で、日本にサッカーを広めた人物である。 明治35年(1902年)、覚之助は東京師範4年の時、フットボール部を創設。これが現在のサッカーの日本での始まりとされる 
                     出典..シルバー産業新聞. 
さらに進み”時の鐘”のある 時の鐘通りの角に着く
蔵造りの街並み

”亀屋”時の鐘店
”亀屋”は天明三年(1783)創業の老舗菓子店。
弘化四年(1847)に、 京都嵯峨御所(大覚寺)より「龜屋大掾藤原嘉永」の資格得ている。
左の”亀屋栄泉”は明治創業の店。同じ亀屋でも違う店だが歴史は古い老舗。
その先は明治26年建築の”陶器やまわ”そして”フカゼン”という表具屋さん
小江戸川越一番街商店街を戻って、鐘つき通りへ入る。
通り左正面に小江戸川越のランドマーク『時の鐘』
江戸時代初期の徳川家光の寛永年間(1624年~1644年)に建設された。川越蔵造りの町並みを代表する観光名所で地元では鐘撞き堂と呼ばれ親しまれている。 現在の鐘楼は明治26年の大火で焼失して翌年に神社と共に再建された。
戦前の”時の鐘”
『時の鐘』は3層構造の塔で、高さは16メートル。昔は鐘撞きが時を知らせていたが、今は自動で1日4回(午前6時、正午、午後3時、午後6時)川越城下に時を知らせている。
時の鐘の先には薬師神社の境内、ご本尊は薬師如来立像。
時の鐘からかねつき通りを川越城・本丸跡方面に向かう。
大手町通りを進むと、入口に「太田道灌」像が迎える川越市役所がある
川越城大手門跡に建つ/川越市役所入口に"太田道灌"像
川越城は、長禄元(1457)年、太田道真・道灌父子によって築城された。
更に、太田道灌は江戸城も築城し「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」の歌も知られ、歌に登場する山吹は川越"市の花"となっている。

川越城・中ノ門跡


川越城中ノ門跡...... 小江戸川越WEBより転載  
明治以降、川越城の多くの施設・建物が取り壊された中で、中ノ門堀跡は旧城内に残る数少ない遺構です。
中ノ門堀は、西大手門(現在の川越市役所付近)から本丸(現在の初雁公園周辺)に向かう道筋を妨げるように設けられた堀の一つです。
右に左に屈曲する道を進むと、この中ノ門堀に突き当たります。堀は深さ7m、幅18mですが、西大手門側の勾配は30°、本丸側は60°と傾斜角度が異なるため、西大手門から入った侵入者には、堀が壁のように切り立って見えたことでしょう。
川越城跡・公園入口
川越城・本丸御殿


嘉永元年(1848)時の藩主松平斉典が造営したもので、武家風の落ち着いた造りが印象的な江戸時代17万石を誇った川越城唯一の遺構が本丸御殿である。
川越城は扇谷上杉持朝(おうぎがやつうえすぎもちとも)が古河公方足利成氏(こがくぼうあしかがしげうじ)に対抗する為、長禄元年(1457)に家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城されたもの。その後寛永16年(1639)、徳川幕府の重鎮として知られる川越藩主松平信綱が、川越城の大規模な拡張・整備で、台地上先端に本丸・天神郭・北に二の丸・西に八幡郭・三の丸他の曲輪・本丸西南隅に三層の富士見櫓と称する櫓を含む三つの櫓と十二の門よりなり、総坪数は堀と土塁を除いて四万六千坪にもなった。現在に残る川越城本丸御殿は、明治維新後の解体により嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典により再建されたものの一部であり、現存しているのは玄関・大広間と移築復元された家老詰所のみ。玄関に入ると廊下がぐるりと部屋を取り囲んでおり、いくつかある部屋の装飾は質素で装飾などは最低限に止められているが、部屋を仕切る扉に描かれた杉戸絵や車寄せの構えは豪壮でさすがに御殿と呼ぶにふさわしい造りである。
               ...... 小江戸川越WEBより転載
本丸御殿から喜多院へ向かう。
途中の成田山川越別院(本行院)によりお参りする
成田山川越別院(本行院)


慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹で、正式には星野山無量寿寺喜多院という。
江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として、また江戸城から移築された三代将軍徳川家光・春日局ゆかりの建物をはじめとする、多くの文化財を所蔵している喜多院の名は川越をというより、埼玉県を代表する寺院として全国的にも有名である。
徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受け、江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築された。江戸城ゆかりの建造物に加え、山門・鐘楼門・慈眼堂などが重要文化財に指定されており、また隣接して、駿府で没した徳川家康公の遺骸を日光山へ運ぶ途中で法要が行われたことから建設された日本三大東照宮の一つである仙波東照宮もあり、江戸時代の香りを色濃く残す徳川家とゆかりの深い寺である。 また、日本三大羅漢の一つに数えられるこちらの五百羅漢は、人間の喜怒哀楽をよくとらえた様々な表情の石仏群でおよそ540体が境内に並び、観光客の人気を集めている。いずれも見学可能で、正月はだるま市・2月は節分会・春は桜まつりなどの催し物が開催され、四季折々の寺の風景も楽しめる。
               ...... 小江戸川越WEBより転載
「喜多院/慈恵堂」
"苦ぬき地蔵"珍しい名前のお地蔵さん
喜多院ではちょうど小江戸菊祭り開催中
喜多院・小江戸菊祭り
ここまでで川越一日街歩きは終了
川越市駅へ戻る
昨日と逆ルートで、東武東上線・川越市駅から池袋へ、地下鉄丸ノ内線に乗換へ東京駅へ戻る。

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終
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